浅田真央選手引退。その真相とは?
フィギュアスケーター浅田真央選手の引退が報道され、メディアでは大きく取り上げられ世間を賑わせております。
【浅田真央】
5歳からフィギュアスケートをはじめ、12歳の時に特例で出場した全日本選手権で女子選手として初めて「トリプルフリップ」→「トリプルループ」→「トリプルトーループ」のコンビネーションジャンプを跳び注目を集めた。
ジュニアグランプリシリーズをはじめ、トリプルアクセルを成功させたジュニアグランプリファイナルや世界ジュニア選手権など2004年9月から2005年3月にかけて出場した10大会のうち8回の優勝を果たした。シニアの国際大会では2005年のトロフィーエリックボンパールで初優勝。同年のグランプリファイナルでは初出場にして初優勝を遂げた。2006年トリノ オリンピック大会への出場期待も高まったが出場年齢制限により大会参加資格は得られなかった。その他2006年~2007年シーズンではキャンベルカップ、NHK杯など優勝。2009年~2010年のバンクーバーオリンピックで銀メダル、世界選手権では2度目の優勝を果たした。(以後略)
全日本フィギュアスケート選手権 メダル獲得数ランキングにおいて、伊藤みどりさんらと並ぶ堂々の1位(11回)!内訳は優勝6回、2位3回、3位2回の計11回。
ブログでは、
「突然ですが、私、浅田真央は、フィギュアスケート選手として終える決断を致しました。今まで、長くスケートが出来たのも、たくさんの事を乗り越えてこれたのも、多くの方からの支えや応援があったからだと思います。ソチオリンピックシーズンの世界選手権は最高の演技と結果で終える事ができました。その時に選手生活を終えていたら、今も選手として復帰することを望んでいたかもしれません。実際に選手としてやってみなければ分からない事もたくさんありました。復帰してからは、自分が望む演技や結果を出す事が出来ず、悩む事が多くなりました。そして、去年の全日本選手権を終えた後、それまでの自分を支えてきた目標が消え、選手として続ける自分の気力もなくなりました。このような決断になりましたが、私のフィギュアスケート人生に悔いはありません。これは、自分にとって大きな決断でしたが、人生の中の1つの通過点だと思っています。この先も新たな夢や目標を見つけて、笑顔を忘れずに、前進していきたいと思っています。皆様、今までたくさんの応援、本当にありがとうございました」と述べています。
私的には今回の引退についてはこう考えます。
人間生きている以上「なぜ私は今このことに熱中しているの?」や「私は今何をやっているのだろう」など人生の疑問にぶち当たる時があると。今回の浅田真央さんもこのような考えに陥ってしまいこれ以上スケートを続ける意味が無くなった。そしてそんなあいまいな気持ちで続けていても期待や応援に応えられないと…なんて考えてしまい早めの引退決断に至った気がします。
あくまでも勝手な見解ですけどね><
引退を聞きこんな声も・・・
「若い選手の活躍をみて時代(世代)が変わったという感覚があったのか?」
「引退は、後輩にチャンスをあげたかったという真央ちゃんの優しさ?」
「足や腰の痛みが限界だったのか?」
などなど様々な反応がありましたがみんなして言えることは、
「今まで日の丸を背負ってきてお疲れ様でした!そしてたくさんの感動をありがとう!」